第十三話 越前が死んだ…???

3匹は日に日に巨大化していたのだが、私達は全く気づかなかった。
それどころか、

「この子たち、あんまり大きくならないね。」

「う〜ん、そういう血筋なんじゃないの?」

「でも、越前の親は大きかったじゃない。」

「確かに。」

「食事の量が少ないのかな?」

こんな会話をしていたのである。

しかし現実には、4〜5ヶ月で6kgを超えていた。フィラリアの薬をもらいに獣医さんのところに行ったときに、このことが発覚したのである。さすがに妻もびびったらしく、急いで家に帰りブリーダーさんに電話をかけた。

「ご無沙汰してます。あの〜、孟徳と玄徳なんですが、体重が6kgを超えちゃったんです。このまま大きくなり続けるんでしょうか?」

「父犬は8kgです。小さい方ですので、子犬たちも10kgぐらいで落ち着くと思いますよ。」

この時は、これでひとまず安心した・・・のだが、結局は瞬間最大風速18kgを超える巨大フレンチブルドッグとなってしまった。

気づかなかった理由は、体型と毛質のせいである。これまでの犬たちは、みんな3ヶ月前後で体型が変化しだした。頭が横に張り、体がにょろんと長く伸びると大人への第一歩を踏み出すのだ。ところが、孟徳と玄徳は随分長い間体型が変わらなかった。飼い主が、いつになったら変わるのだろうかと待っているうちに、赤ん坊体型のまま大きくなっていたのである。

孟徳と玄徳のもしゃもしゃした毛質も変わらなかった。勝手な思い込みで、大人になれば滑らかになるだろうと思っていた。触り心地も一向に変わらず、子犬のぷにょぷにょした感触のままだった。越前は既に肌に張りがあり、ビロードのような手触りだったのに・・・。

そんなこんなで、私達夫婦は何事にも『まだ小さいから』と甘やかしてしまった。そして、散歩も舐めてかかってしまったのである。

躾ができていない犬3匹を散歩させるのはかなりの重労働だ。私が孟徳・玄徳を担当し、妻が越前プラスうんち回収係りである。前後一列になって進むのであるが、犬達はそれぞれ自分が先頭に立とうとして、必死になって綱を引っ張る。まだ半年も経たないのにその力たるや凄まじく、飼い主が引きずられるようだった。

「こいつら、犬ぞり大会に出せるかもな。」

「初めての散歩の時は、すごくかわいかったのにね。今じゃ憎らしいくらい。」

初めての散歩は、孟徳・玄徳がまだワクチンを打つ前で、人気がない夜中に連れ出した。病気がうつらないように、舗装道路のど真ん中を歩かせた。嬉しそうにもぞもぞと地面を這う2匹はとてもかわいく、その姿を眺めているのは楽しかったのに・・・。

越前が生後9ヶ月、孟徳・玄徳が半年に届いた頃のことである。週末の朝、散歩に出かけた。この時期は3匹とも、首輪ではなく胴輪を使っていた。必死になって綱を引っ張る犬達の、首への負担を軽くするためだ。躾をするのではなく、道具で対処しようという安易な考え方だ。

越前のリードは、ボタン一つで伸縮可能な細いやつ。越前は運動量が多いので、なるべく遠くまで動きまわれるようにという配慮だ。他の2匹は既に巨大化していたのに、あいかわらず子犬用の細い皮製リードを使っていた。そして、この飼い主の甘さと怠慢が交通事故の引鉄となった。

公園に行く途中の道端で、越前がうんちをした。妻がその後片付けをする間、私が3匹の面倒を見ていたのだが、リードが細いせいでしっちゃかめっちゃかに絡んでしまった。

「とり終わったよ。越前のリード頂戴。」

「ちょ、ちょっと待って。リードをほどくから・・・。あーっ、いらいらする。」

なんとかほどいて、妻にリードを渡そうとした。伸縮リードなので、プラスチックの握り部分を受け渡ししなければならないのだが・・・、

「まだ受け取ってない、あっ!!」

妻の手からプラスチックの握りが滑り落ちた。

「大丈夫!取った!」

妻が握りを落とした瞬間、私が綱の部分を握った・・・が、

コーン、コーンッ!

握りの部分が地面に落ちた。その音にびっくりした越前は、2〜3m向こうに飛びのいた。

ジュジューッ!!

伸縮リードは綱が細い。手のひらの中で綱が滑っていき、摩擦で皮膚が焼けた。その痛みに綱を離してしまった。

「越前っ!こっちに来なさい!!」

妻が強い口調で言ったが、自由になった越前は大喜びではしゃぎだした。

「こらっ、越前!こっち来い!!」

私が言っても駄目だった。

 

ガガガガーッ!

越前は、プラスチックの握りを引き摺りながら公園に向かって走り出した。

「やばいっ」

公園の手前には、車の行き来が多い道路があるのだ。

 

「越前、待って!」

妻が慌てて追いかけた。こういう時に、決して犬を追いかけてはいけない。声をかけながら反対方向に向かって走らなければならなかったのだ。しかし、私達は動揺していた。

「つかまえろっ!!!」

孟徳と玄徳を連れていた私は、大声を出すしかなかった。大きな不安を抱えながら・・・。妻は運動神経が鈍いのだ。

「きゃ〜〜っ!」

妻がこけた。後一歩でリードの握りに届くところで。

そこからは、全てがスローモーションの映画を見ているようだった。倒れたまま、必死になって越前の名を呼ぶ妻。それを無視して全力で走る犬。

(馬鹿がーっ!)

強烈な怒りが込み上げた。言うことを聞かない越前と、どんくさい妻、そして何より綱を離してしまった自分に対して。しかし、その怒りも一瞬にして凍りついた。

右の方から一旦停止を無視した車が、すごいスピードで走ってくるのが見えた。

(頼む、越前。走り抜けてくれっ!神様っ!!)

 

しかし、越前は走り抜けることができなかった・・・。直前の状況は覚えていない。越前が車に轢かれた瞬間だけが目に焼きついた。車に気づいた越前は、一瞬立ち止まる。そこに車が突っ込んでいった。最初にバンパーに頭が当たり、越前は頭を下げた。そこを車の前輪がまき込んだ。そして車ごと、角の向こうへ消えていった・・・。

私はしばらく呆然と突っ立っていた。妻はまだ倒れたままだった。いつもだったら可笑しくて笑っているはずなのに・・・。これから彼女に伝えなければならないことを考えると、体が硬直した。3年間、続けて愛犬を失うことになろうとは。それも、自分達の過失という最悪の状況で・・・。

 

いつまでもそうしているわけにもいかず、倒れている妻のところに歩いた。立ち上がるのを手伝う。

「越前は?」

「うん・・・」

「轢かれたの?」

「うん。」

「見に行かなきゃ。」

「駄目だ。俺が行くから、君はここで孟徳と玄徳を見てて。」

「私も行く。」

「駄目だ!たぶん頭を轢かれてる。」

 

昔、バイクの事故を目の当たりにした。それも2度。両方ともバイクの運転手は、車に頭を轢かれていた。そういう事故はあまりに酷く悲しい。越前のそんな姿を、決して妻に見せることはできなかった。

「そう・・・」 
妻も状況を理解したらしく、納得してくれた。必死に冷静さを保とうとしているのがわかる。しかし、手が震えていた。

 

孟徳・玄徳のリードを渡そうとしているとき、

「えちぜーんっ!!」

妻が叫んだ。

 

「えっ?」

死んだと思っていた越前が、妻の足元でぴょんぴょん飛び跳ねているのだ。

(何で?)

信じられなかった。あの状況で生きているはずがないのだ。地面と車輪に頭が挟まれているところまで、確かに見たのだ。しかし、そんなことはどうでもいい。たとえ、これが幽霊だったとしても素直に嬉しかっただろう。

「あなた、リードを掴んで!!」

妻は跪いて越前を抱き、私は急いでリードを握った。今度は絶対離さない。何があっても。

「越前をしっかり抱いててくれ!」

妻に越前を抱かせ、私は越前の頭を調べた。頭蓋骨はしっかりしていたし、特に痛がる風もなかった。少し安心したが、

「骨はたぶん大丈夫だ。後は脳内出血が問題だ。急いで病院にいこう。」

 

結果的に何も問題はなく、ちょっとたんこぶができただけだった。

越前が轢かれる瞬間の情景は、鮮明な記憶として残り頭から消えない。そして思い出すたびに体が強張る。どうして無事だったのかいまだに不思議だ。なんの宗教を信じているわけでもない。それでもきっと神様や、亡くなったプルート達が助けてくれたのだろうと思うことにしている。

愛するものが元気に生きていてくれる。一番大事なのはこのことだ。

 

この時以来、3匹のリードは大型犬用に変わった。わずか生後半年のフレンチブルドッグだけど・・・。

 

第十三話 完 

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