第十五話 眼鏡
十四話末尾で、目が見えなくなることへの恐怖感について書いたが、実は私は視力がとても悪い。今どれくらいなのかわからないが、最後に計ったときは確か0.06ぐらいであった。
こうなってしまった理由ははっきりしている。寝ながら本を読む習慣のせいだ。
なので、私にとって眼鏡はかけがえがないものの一つである。眼鏡無しの視力を奪われた状態では精神まで不安定になる。
ある朝のことである。
昨夜もいつも通り、眼鏡をかけて本を読みながら寝てしまった。
ぴっちゃ、ぴっちゃ、ぴっちゃ
まだ5時頃のことであろうか。変な音で目が覚めた。
「おまえ、何喰ってるんだ?」
犬が何かを食べている。どの犬が何を食べているのか全然見えない。
確かめようと、眼鏡を探した。
「あれっ、ここらへんにあるはずなのに。」
眼鏡が全然みつからない。這うように布団の上を探したが、無い。
「どうしたの?」
ばたばたしている音に妻が目を覚ました。
「眼鏡がない。」
「・・・もう起きるの?」
妻は明らかに迷惑そうである。
「いや、犬が何か喰ってるようなんだ。」
「えっ。 何を? 誰が? 何か食べるもの出してたっけ?」
犬のことになると、妻はスイッチが入る。
「だから〜、それを調べるために、眼鏡を探しているんじゃないか。」
目が見えないとイライラする。
見つからない。
「あ〜っ、孟徳!何食べてるの!!」
「なーにっ!(うるせえな)」
もうそんなこと、どうでもいい。 眼鏡を先に見つけてくれ。
「・・・あの〜、ちょっといいですか?」
「だから何?」
眼鏡のない時間の長さに比例して、私のイライラボルテージは上がっていく。
「メガネ見つかったんですけど〜・・・」
「♪ほんと?」
「けど〜・・・、こうなっちゃってるんですが〜・・・」
絶句した。
妻から手渡された眼鏡は、レンズが外れくしゃくしゃにまるまったメタルフレームの残骸だった。
「レンズは?喰っちまったのか?」
この時は、まだ犬たちの体を気遣う余裕があった。プラスチックレンズなので、ガラスの破片を心配する必要はないが、飲みこんでしまったら何が起こるかわからない。
二人がかりでそこらをひっくり返しレンズを探した。といっても、私には見えないのだが。
「あった!」
妻が見つけた2枚のレンズは・・・、真っ二つに割れ、犬の唾液でネチャネチャだった。
「あんまり怒らんといて。」
「まあ、ほったらかしてた俺も悪いし、いいよ。」
一応、犬たちにレンズを見せながら、駄目だぞと言い聞かせた。
・・・が、これは序章に過ぎなかった。この日から3年間、眼鏡を巡って
「妻と犬vs私」の長く激しい闘いが繰り広げられたのである。
2本目が被害にあったのは、1ヶ月も経たない頃だった。耳元で、
ぴっちゃ、ぴっちゃ、ぴっちゃ
(うん?)
うす目を開けると、目の前に玄徳の顔があった。これだけ近いと、いくら私でもはっきり見えた。うっとりした恍惚の表情で、眼鏡のレンズをしゃぶっっている。
「てっめえー!!ふざけるなーっ!!!」
一瞬で頭に血がのぼった。
がばっ
と起き上がって仁王立ちになり、玄徳を睨みつける。
びくっ
妻と他の犬たちも、びっくりしてこちらを見上げ硬直している。
ぽろっ
恐怖に固まっている越前の口から・・・、ぐちゃぐちゃに丸まったメタルフレームがぽろりと落ちた。
「おまえもか〜っ!!!」
キャイン
と鳴いて、玄徳は玄関に逃げて行った。越前はその場でうずくまりプルプル震える。私の激昂に妻も黙っていた。
「泣きてえのはこっちだよ。見えないのがどんだけ不自由かわかってるのかーっ!」
3本目がやられたのは、それから1週間後。
敵もさるもので、私が目を覚ますとみんな寝たふりをするようになっていた。誰が犯人かわからない。妻に聞いても「知らない」と言う。 犯人がわからなければ怒りようもないのだが、黙ってしまうといつまでも同じことをするだろうし、なにより私の怒りが納まらない。だから・・・、
「ゴア〜〜ッ!!」だの
「ウギャ〜〜ッ!!」だの叫びながら、
枕を壁や床に叩き付ける。朝っぱらから・・・。
すると、犬たちは目を合わせないように顔を背けてぷるぷる震え、妻はムッとしながら私を睨みつける。
夫々の無言の叫び;
妻 (ちゃんと片付ければ済むことじゃん。犬は悪くないのに。)
私 (お前ら、ええ加減にしろよ〜! 本読みながらうとうと眠りに入る楽しみを犬に奪われてたまるか〜!いちいち片付けてたら目が覚めるんだよ!)
犬たち (ぶるぶるぷる…また怒ってましゅ〜。でもメガネの歯ごたえ、たまりまちぇ〜ん!目の前にあって我慢しろというのが無理でちゅ〜!3匹いれば誰が犯人かわかりまちぇ〜ん。うふっ。)
その後も同じ葛藤が幾度となく繰り返された。
しかし、私の涙ぐましい孤軍奮闘のおかげで、なんとかこの悪癖をやめさせることができた。 犬たちが1歳から3歳までの3年かけて。
その間破壊された眼鏡の数は10本以上。一本5万円として・・・。
ある夜のことである。テレビで動物番組を見ていると、チンパンジーのボスの座をかけた闘いを紹介していた。チンパンジーは流血の争いをしないそうである。そのかわり、そこらに転がっている木切れを拾い、絶叫しながら近くの木や地面を叩いて相手を威嚇する。
「メガネ壊されたときの、あなたみたいね。」
「・・・・」
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