第二十二話 越前の沈黙 後編
ものの本で読んだが、生物というのは自分の弱点や欠陥を補うために特殊な能力を身に着けていくものらしい。第六感というのも、五感の鈍い人間に備わるのではないかというのである。ホントか嘘かはわからないが、「どんな奴にも必ずスゴイところがある」ということだろう。越前の場合、自分の無口さを補うように強烈な気(あるいはオーラと言えばいいのか)を発するときがある。
「そろそろかも・・・」
越前達を連れて那須方面に旅行に向かう車中。助手席に座って、80年代ユーロビートの軽快な曲を聞いていた妻が、ポツリと呟いた。
「そうだな・・・。後ろ見てみ。」
後部座席から重く圧し掛かってくる淀んだ気を、私も察知していた。
他の2匹はへっちゃらなのだが、越前だけは車酔いする。酔うと越前は、『ぶ〜』とも『きゅ〜』とも言わず、がっくりと肩をうな垂れ、
<む〜んっ>
と、重いオーラを発する。その威圧感たるや、かなり凄まじい。
「あらら、孟徳と玄徳がドアに張り付いてる。」
「まさにサイコキネシスだな。」
孟徳と玄徳は、これまで何度かゲロをぶっかけられたことがある。だから、越前が気分悪そうにすると、我先に1cmでも1mmでも越前から離れようとするのだ。この時は、越前が後部座席の真ん中に座っていたので、2匹は左右のドアに体を寄せ、何とか難を逃れようとしていた。その姿はまるで、超能力でドアに吹っ飛ばされたかのように見える。
「越前、大丈夫?」
妻が声をかけても、肩を落としたまま上目使いで見上げるだけだ。
「越前が酔った時って、目の下に青い縦線が見える気しない?「ちびまる子」の漫画みたいに。」
「あるある。漫画家ってえらいよな。見事に感情表現するよね。」
飼い主の能天気な会話と対照的に、越前の顔はますます青ざめていく。
「越前。次のパーキングエリアで停まるからね。もうすぐだよ。」
妻が撫でてあげようとしても、
<どっよ〜〜〜んっ>
(お嬢さん。俺に触れるとゲロ吐くぜ。)
気迫だけで、妻の手を拒む。もうここまでくると間に合わない。
この日も駄目だった。
一週間の旅行日程の半ばを過ぎた頃、犬のテーマパークに行ってみることにした。広大な敷地の一画に、牧場のようなドッグランが何面かあった。
「孟ちゃんまで喜んでる。」
ドッグランが大嫌いな孟徳でさえ、楽しかったようだ。
「意外に絵になるな。」
越前は、さっそく一番大きなアフガンハウンドと仲良くなり、一緒に走り出した。長い毛をたなびかせ優雅に走るアフガンとちっこいフレブルの競演。似合わないと思ったが、これがなかなかの見ものだった。ところが・・・、
「越前、もう遊ばないの?」
普段であれば、疲れ知らずで遊び続ける越前がすぐに戻ってきた。珍しいことに水をがぶがぶ飲む。
「びっこひいてるぞ。足を怪我したみたいだ。」
右前足をかばって歩いていた。調べてみても、外傷はない。
「骨が折れたかも。」
改めて芝を良く見てみると、犬の足がすっぽりと嵌まり込むぐらいの小さな穴がいくつも開いていた。走っている時に、その穴に足をとられたのかもしれない。
「でも、足はちゃんと地面についてるよ。」
確かに。骨が折れていたら、地面につける事はできないはずだ。
「越前、帰るか?」
声をかけると、嫌がるように別の犬のところへ遊びに行った。
「大丈夫そうね。」
ということで、それから2時間ほど谷を降りて川遊びをしたり、ボール遊びをした。
「レントゲンを撮ってもらえませんか?」
テーマパークを出る頃になると、越前の動きが明らかに鈍くなった。パークの従業員に紹介してもらった獣医を訪れたのだ。
「あっはっは。レントゲンを撮るまでもありませんよ。骨が折れていたら、こうして歩くことなんかできませんって。心配ありません。ちょっとした捻挫でしょう。」
胸を張って断言する獣医の言葉に、
(そりゃそうだよな。)
と納得し、残り数日の旅行を続けることにした。
「あー、折れてますね。指が。」
旅行の後半、越前はだんだん元気がなくなり、食も細くなった。念のためにと、帰宅後に行き着けの獣医さんにレントゲンを撮ってもらったのである。
「えーっ!旅行先の獣医は、折れてるわけが無いって豪語してましたよっ!」
妻の語気が荒くなった。
「はは・・・。まあ・・・、普通は骨折したら歩けないから・・・。」
獣医さんも、これ以上コメントのしようが無い。
「どっちにしても、痛み止めと抗生物質を飲むしかありません。ギプスをしても、歩いちゃったら意味がないので。」
「骨折ってるってわかってたら、もっと違う接し方してたわよ。何よ、あの獣医!」
妻は、旅行先の獣医によほど腹がたったようである。
「だいたい、あんたもそれらしい態度を見せなさいよ!孟徳と玄徳だったら、きゅ〜きゅ〜泣いてたわ。どうして、あんたはいっつもそうなの?」
越前への八つ当たりである。
「いや!俺には越前の気持ちがわかるっ!!」
「え〜っ!また〜っ?」
「まあ、聞け。昔、インドネシアで・・・」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昔、インドネシアで働いていたときのことである。私が居たのは、ジャカルタから飛行機で1時間ぐらいの田舎町であった。ある週末、会社の人間と一緒に、山にパラグライダーをしに行った。
ぱき〜んっ!!
飛んだはいいが、突然の突風に押し戻され、崖に激突したのだ。激突の瞬間体を守るため、左足で崖を蹴ったら・・・、変な音がした。
ぐらっ!ぺたん。
「ぐわ〜〜っ!痛って〜〜〜!!」
着地後、自分の体を触って確認したところ、とりあえず大丈夫そうだった。で、立ち上がろうとしたら、激痛とともに左足がクニャッとなって尻餅をついたのである。
「ミスターッ!大丈夫かーっ!」
会社で雇っている現地人の運転手が駆け寄って来る。その後を、パラグライダーの見学に来ていた地元の農民たちが続く。
「大丈夫、大丈夫。」
と言ってはみたものの、歩くことができないと分かると、農民達が私の体を担いでくれた。
(のわ〜〜〜っ!なんっじゃ、こりゃ!!)
と叫ぶ前に、
「ギャ〜〜〜ッ!○×▲□!!」
農民達が先に叫んだ。皆に担がれた瞬間、私の左足の甲が「ぺろんっ」と真下に垂れ下がったのである。そして、数歩進む間に足が「ぷらん、ぷらん」と回転し、見えるはずの無い足の裏が、「こんにちは」をしたのである。
「☆◆※!」
「"◎〒!!」
「(▲??!!!」
農民達がパニックになった。
インドネシア人というのは、とても穏やかで心優しく、のんびりした人が多い。その反面、精神的衝撃に弱い。本人達曰く、「すぐに頭が真っ白になる」そうである。ここで、彼らがパニックになろうものなら・・・。
「大丈夫。みんな落ち着いて!まずは、ゆっくり降ろしてくれるかな?」
痛みをこらえ、極力優しい声を出して呼びかけた。
「その木とその木を切ってくれないか?」
学生時代やっていた、プールの監視員のバイトが今頃役に立つとは。添え木のための木を切らせ、自分が着ていたTシャツを脱ぎ、びりびりに破いて紐状にした。
(うっぎゃ〜〜っ!!!もう殺してくれ〜〜っ!)
へにょん、へにょんにぶら下がる自分の足を掴み、基の位置に戻して添え木をあてたら・・・、絶叫しそうになった。その声を飲み込み、
「うん・・・。自分で縛るから・・・いいよ。大丈夫・・・だから。」
添え木を縛るのを手伝おうとする現地人達を制した。加減も分からず、力いっぱいぎゅーぎゅーと縛り上げるのだ。一瞬、殴りそうになった。
「みんな。ありがとう。」
なんとか車に運びこまれ、農民達にお礼を言い、
(ひとまず落ち着いた・・・)
と思ったら大間違い。
「ミスター、今から言うことを良〜く聞いてくれ。」
こっちの痛みもおかまいなしに、現地人の運転手が話しかけてきた。この運転手は、かつてロサンゼルスで仕事をしていたことがあるインテリで、何十人もいる運転手達のリーダー的存在だった。それが・・・、
「これから町の病院まで、1時間半かかる。渋滞があれば2時間だ。しかし、別の方法がある。ミスターは運が良かった。」
(いったい、こいつは何が言いたいんだ?)
「ここから15分のところに 呪い(まじない)師がいる。」
(へっ?)
「病院に行けば、手術をすることになるだろう。術後は、麻酔が切れてかなり痛い思いをする。そして、治るまでに2ヶ月はかかる。へたをすれば、一生足を引き摺ることになるだろう。」
(おいおい。脅すなよ。)
「しかし、この呪い師だったら、今日中に痛みは無くなり、3日後には普通に歩けるようになる!!さあ、どっちに行く?」
呪い師と答えなければ馬鹿だ、と言わんばかりの勢いである。インドネシアでは、いまだに民間レベルで黒魔術が信じられているのだ。
「う〜んっと・・・」
激痛の中、一応悩む振りをした。彼の好意を無下にするわけにはいかない。
「やっぱり、病院にしようかな・・・。
呪い師の方は・・・、メイビー ネクスト タイム。(今度ね!)」
怪談とか、超能力とか、UFOが大好きな私であるが・・・、所詮は現代科学の信奉者であったのだ。
「手術は明朝6時に始めます。くるぶしの所を切って、骨に金属プレートを添え、ボルト3本を挿し込んで固定します。」
診察後病室に入り、やっと落ち着くことができた。張り詰めた緊張感から開放されたせいであろうか・・・、それとも翌日の手術に対する恐怖心からであろうか・・・、気絶した。
「ミスター、目が覚めましたか?」
病室のベッドの傍らで、秘書が泣きながら声をかけてきた。
「これから手術か?」
「いえ。もう手術は終わりました。成功です。」
「麻酔かけずに、手術しようかと思っちゃったよ。」
医者が言うには、手術の時間になっても爆睡していたらしい。「ふざけるな」である。
「どうして、呪い師の所にいかなかったんだ?」
退院後、取引先の社長に真剣な顔で言われた。教育のある人間にまでそう言われると、「本当かな?」という疑問が湧く。いまだに心に引っかかることの一つになった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「というわけでだな、長男というのはちょっとやそっとの痛みでぎゃーぎゃー騒がないんだよ。わかる?」
「なんか、「長男」って、「馬鹿」の代名詞みたい。」
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