第二十八話 呻き声
4年程前からであろうか、冬の夜、寝ていると不気味な声が聞こえるようになった。
「うっ、うっ、うっ・・・」
最初は犬の鼾かと思っていた。しかし注意して聞くと、
「ぶー、ぶー、ぶー」
ではなく、やはり
「うっ、うっ」
という人の呻き声である。
(また始まったのか?)
実は昔、よく金縛りにあっていた。それどころか、変なものを見たり聞いたりした気さえしていた。実際はどうだったのかよく分からない。ほとんどの場合、一人きりの時にそういう状況に遭遇していたからだ。だから気のせいだったのかもしれない。ただ、何回かは周囲に人がいる中で事が起きた。
例えば中学の頃である。家族旅行に行った晩、私は寝ながら歌い出した。流行の曲であれば寝言で済んだのであろうが、私が歌っていたのは・・・
「オペラだった。それもソプラノで。延々と。起こしても起きないし。」
翌朝、家族が気色悪そうに、そして迷惑そうに言った。しかし当時の私は声変わりの最中で、そんな高い声が出るはずが無かったのだ。それに・・・、オペラなんぞの高尚な趣味は持っていない。そこは、狸の生息地であった。どうやら狸に化かされたらしい。
あるいは高校の頃である。寮に住んでいた私は、ある夜金縛りにあった。いつもだと嫌〜な空気が漂い始め、じわじわ〜っと金縛りにあうのであるが、この日は・・・
ガーンッ!!
いきなり後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。一瞬にして、体が動かなくなったばかりか、
(い・・・息ができないっ!)
あまりの苦しさに悶絶したいのであるが、体はぴくりとも動かない。
「ひ・・・、ひ・・・」
何とか声を出そうとするが声にならない。それでも頑張ると、
「う〜んっ・・・、う〜んっ・・・」
だんだん声が出るようになった。そして最後にありったけの力を振り絞り、
「が〜っ!!!」
大声を上げて飛び起きた。
「誰か起きてるか?」
寮は四人部屋だった。暗闇に向かってぜえぜえ言いながら声をかけると、
「どうしたんだ?」
全員起きていた。私の呻き声をずっと聞いていたらしい。
「金縛りだ。たぶん、婆ちゃんが死んだ。」
ちょうどその頃、祖母が病気で入院していたのである。
「そんな筈無いだろ。」
「いや、間違いない。悪いんだけど・・・、誰かトイレに着いてきてくれ〜。」
もう恥も外聞も無い。怖くてとても一人ではトイレに行けなかったのである。翌朝、家に電話をした。
「婆ちゃん、何かあった?」
「期末テストの時期だから、黙ってようと思ったのに。お婆ちゃん、今朝早く亡くなったのよ。」
私が金縛りに会った時間、祖母は急に容態が悪くなったそうである。舌が弛緩し、それが気管を塞いで窒息しかけた。医師が舌を引っ張り出して、一度は持ち直したらしいが、結局朝方に再度危篤となり亡くなったらしい。
「何で分かったの?」
「実は・・・、連れて行かれそうになった。」
年を経ると共に、そういう現象は減っていき、そのうち気にもしなくなった。
それが再び始まったのであろうか?
呻き声はそのうち、言葉になった。
「苦しい・・・、苦しい・・・、ひ〜っ!」
声の主は・・・、妻だった。
「どうした?具合が悪いのか?」
電気を点けて声を掛ける。
「手足が・・・動かない・・・。」
妻が苦しそうに答える。さすがに慌てた。飛び起きて妻の布団を捲ると、
「なんじゃっ、こりゃ!」
なんと、妻の両腕に孟徳と玄徳がど〜んと乗っている。そして、越前は妻の足の間に潜り込み、頭だけひょっこり出していた。寒さを逃れるために、妻の布団に潜り込んだのだ。うじょうじょと布団の中で蠢く姿はまるで、
「ゴキブリホイホイッ!」
呆れながら見下ろしていると、
『何だよ〜、寒いじゃねえかよ〜っ!』
三匹がうらめしそうに、視線を投げてきた。
「これ、どうにかして〜っ!」
妻が助けを求めてくる。
「そんなに苦しいなら、強引にどかせばいいじゃないか。」
妻のとろさに腹が立つ。
「それが・・・、手足が痺れて・・・動かない。」
力を抜いて抵抗する犬達を、一匹一匹妻から引き剥がしていった。
「いたたた、いたたた。痺れた所が痛くなってきた。」
「あのさ〜、昔テレビで言ってたけど、それってボケにつながるらしいぞ。」
ボケというのは、脳神経が減ることによって起こるらしい。ところが、脳神経はいきなり減るのではなく、指先等の末端神経から枯れていくというのだ。だから寝起きに手足が痺れている人は、言い換えれば指先の神経が死んでいるというサインであり、ボケが早くなると言っていた。つまり寝ぞうが悪い人の方が、体を動かしている分ボケにくいのだ。
「え〜っ!そうなの?これから気をつける。」
しかし・・・、翌日も同じ、その翌日も、そのまた翌日も・・・。そうやって、早4年経つ。
「私にはこの子達を布団から追い出す事なんてできないっ!あなたは、できるの?」
そう・・・、できない。
腕にちょこんと頭を乗せ、スヤスヤと幸せそうに眠るその寝顔を見てしまうと・・・。
間近で見る犬の頭は、毛の一本一本がフワフワと立っており、まるで毬栗頭の幼稚園児のようだ。 安心しきっているから、体がへにょんへにょんと柔らかい。ほっぺたを引っ張ったり、クニュクニュ摘んだりすると、口の端がきゅっと上がりニッコリ笑う。
あまりの可愛らしさにぎゅっと抱きしめると、
『フンッ、フンッ、フンッ』
嬉しそうに鼻を鳴らす。まさに至福の時だ。
「この時間が永遠に続けばいいのに。」
とすら思わせる。
今年も寒くなった。今夜も妻の呻き声が暗闇に響くのだろう。
「苦しい・・・、苦しい・・・、ひ〜っ」
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