番外編1 孟徳ピンチ
会社から帰ってきたのは11時半を過ぎていた。妻が不安そうに孟徳を撫でながら、
「この子、具合が悪いみたい。」
見ると、孟徳はハアハア息を切らせていた。身の置き所がなさげにソワソワと体勢を変えている。明らかにおかしい。
「いつから?何か食べたの?」
と聞くと、
「私も1時間ぐらい前に帰ったばかりだから。帰ったときにはこうなってた。」
「食事はさせたの?」
「孟徳は、あんまり食べなかった。」
食に対して異常な貪欲さを見せるこいつらが、食欲がないというのは緊急事態である。
「先生に電話しろ!」
「でも、こんな時間だよ。」
「いいから電話しろ。一刻を争うかもしれない。」
妻が、動物病院の先生に電話をしたところ、先生は快く見てくれると言ってくれた。ただ、既に帰宅しているとのことなので、1時間後に病院に行くこととなった。
午前1時、動物病院に行った。
「レントゲンには何も写っていません。考えられるのは、レントゲンに写らない変なものを食べたということかなあ。でも、何が原因かよくわからない。」
「爪楊枝のようなものを食べた可能性はありませんか?」
「爪楊枝だと、レントゲンには写りません。心当たりがあるんですか?」
「もしかしたら、ゴミ箱を漁って食べたかもしれません。こういう場合、どうしたらいいんでしょうか?やっぱり、お腹を開けた方がいいんでしょうか?」
「うーん。開けても何も無い可能性があります。麻酔の危険性を考えると、そこまですべきかどうか・・・。」
と、先生もかなり悩んでおられた。ああでもない、こうでもないと話したあげく先生が、
「手術をしましょう。体力がある今のうちに。でも、何もわからないかもしれないということは事前にご理解してください。」
と力強くおっしゃったので、こちらも
「はい。よろしくお願いいたします。」
「先生。手術のお手伝いをさせていただきます。」
なにせ、夜中の1時半である。看護婦さんもいない。横にいる妻も手伝うかと思いきや、
「私は控え室で待っているから。その前に、コーヒーでも買ってくるね。」
と出て行った。おいおい。
「効いてきましたね。」
麻酔が効いて、動かなくなった孟徳に、
「頑張れよ」
といって、頬ずりするとまるで死体を抱いているような感触と臭いだった。
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です。心電図もしっかりしてます。」
いよいよ、切開だ。
「そこのスプレーをとってください。消毒液ですので、私の手に噴きかけてもらえますか。」
「ひゃい」
と、声にならない返事をする。
ザクッ、スーッとメスが腹を割き終わったところで、恐怖感もなくなった。ここからは、単純に好奇心の世界に入る。内臓というのは、複雑でグロテスクではあるが、見事に整然と腹の中に納まっている。妙に感心してしまった。
「せ、せんせい。内臓の位置って、全部覚えていらっしゃるんですか?」
先生は、手を内臓に突っ込むと無造作に引きずり出し、ライトにかざしながら注意深く見だしたのである。さっきまで、きちんと整理されていた内臓がもうグチャグチャになってしまったのである。そして、見終わった内臓は腹の中に戻さず、ベロンと脇腹のあたりにたれ下げていく。この医者は、ちゃんと元通りに戻せるのかという不安から出た質問である。
「はあ。まあ。」
と気の無い返事が返ってきた。聞いているんだか、いないんだか。こちらは、もう気が気じゃなくなり、この医者がきちんと内臓を元に戻せたかどうかを自分で確認しなければならないと思い、一生懸命内臓の位置を記憶しはじめた。胃はあそこらへんにあって、それに続く腸はあそこらへんで左に曲がって、あそこらへんで下に曲がって、それから・・・といった具合である。これを元に戻すのにどれだけ時間がかかるか、と考えると途方に暮れた。出すはよいよい、戻すは怖いである。
「ちょっとこれ見てもらえますか?」
先生に声をかけられたとき、暗記の最中だったので気が進まなかったがしょうがない。目の前に、ほらこれこれと腸の一部をつきつけられた。何かぶよぶよしたものが中に入っている。
「グミみたいな感じなんですが、心当たりはありますか?」
「ドッグフードしか与えていませんが、消化するとそうなるんでしょうか?」
「ドッグフードではないみたいですね。」
「わかりません。」
「胃の出口辺りで止まってる感じなんですよね−」
先生は、不可解そうにグミをグニュグニュと下へ下へと押し出してみたが結局何かわからなかった。
「爪楊枝らしきものはありません。他におかしいところも見つかりませんでした。縫合します。」
「わかりました。お手数をおかけしました。」
さあ、これからが山場だ。ちゃんと元に戻さないととんでもないことになるぞと、気を引き締めた。すると先生は、脇腹に垂れ下がる内臓を、無造作に穴の中に突っ込んでいった。ちょうど、焼肉のホルモンをポンポンとバケツに放り込んでいくような感じである。
「せんせー、そんなんでいいんですか?」
「ああ、大丈夫です。大丈夫です。これは、こうするんですよ。」
といって、切開された腹の両側を握ると、左右上下に振り出した。ホルモン入りバケツを振るような感じである。すると、あら不思議、まるで生き物のように腸がにゅるにゅるんと動き、元通りになった。
「生き物って、不思議でしょ。」
とおっしゃった先生に感動し、生き物に感動し、神は偉大だとすら思った。
「すみません。なにもわかりませんでした。結果的に孟徳ちゃんにかわいそうなことをしました。」
「いえ、本当にありがとうございました。夜中に、こうして手術までしていただいて、御礼の言葉もありません。危ないものを食べていないことがわかっただけでも安心しました。」
孟徳が麻酔から醒め、「きゅーん」と泣いたのを確認し、妻と自宅に引き返した時は朝だった。
「これは、何かわかりますか?」
翌日、会社帰りに病院によると、先生からフー介の糞を見せられた。白いバサバサの物質が混じっているのを見て、あっと気付いた。
数日前に使っていた、分厚いシップ薬である。それを食っていたのだ。 そしてそれが胃の出口で粘着していたのだ。
「手術をして、先生がなんだろうと押しつぶして移動させてなかったら、今頃こいつは死んでるな。」と妻と二人、胸をなでおろした。お医者さんというのは、たいしたものである。
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